御會式の今昔 山上ヽ泉

およそ江戸時代に於ける日蓮宗に就いては、次のやうな四大特色を数へられたほど豪勢をきはめたものです。その第一は『法華気質』といふ成語です。その熱烈さから「法華勧めるほど勧めても」といひ、「堅まり法華」といふ諺も生じ、茶道では「情張」(浄玻璃)と称へた茶釜の一種を「法華釜」といふ異名を以て呼んだ。又、川柳の「堅法華惜しい娘を寝かし物」といひ、「堅法華橘町へ転宅し」と詠まれたのも、更にまた私可多咄や落語の「法華猫」、「法華長屋」、「お材木」、「腹中」などでも、皆法華魂を描写した痛快な題材であります。
第二には『お宗旨』と申す語です。ただ一口に「宗旨」といへば、何の宗派にも通ずる汎称であるが、それを一度改まつて「お宗旨」と呼ぶと、我が日蓮宗専用の特殊語となつてしまふのです。即ち「お」の一字の有無で、さう違つたのである。「お宗旨がみんな指ざすいい娘」と申す「俳風柳多留」の名句などが、その証拠で、それを訳すと
お宗旨が=(日蓮宗の人々が)
みんな=(異体同心に)
指ざす=(唱え奉る)
いい娘=(南無妙法蓮華経)
となります。『お宗旨』を一に『お経宗』とも称へた。それで「テテドドの調子へ経の尻上り」などと穿つた川柳の生まれた次第です。
第三には『お祖師さま』です。「大師は弘法に、祖師は日蓮に奪はる」といふ諺でもわかりませう「三つ蒲団頭へ載せるお祖師さま」といふ川柳は、お会式に赤白三枚重ねたお綿帽を冠せまいらせたお姿のことです。
第四が、謂はゆる『お会式』であり、『お命講』です。これから述べようとするのは、さういふ語の起源や、沿革や、変遷やについてであります。

そもそも『会式』と申すと、汎く一般にわたつての法会の儀をさします。しかし、この『会式』なる成語は、仏教語といふほどのものでなかつたばかりか、室町時代以前、即ち近古には、之を文献に徴めがたいのです。
『会式』の語の初出は、観世小次郎の作といはれる謡曲の「九世戸」です。その冒頭に「抑もこれは当今に仕へ奉る臣下なり。さても丹後の国九世の戸は神代の古跡にて、忝くも天竺五台山の文殊を勧請の地なり。殊に林鐘(六月)半ば、かの会式にて御座候程に、唯今参詣仕り候。」
と見え。その意味は「多数の信者が会同して、法要の儀式を営むこと。」であつたが、それが自然に、開祖入寂の忌日に行ふ大法会といふ風に用いられたのです。
ですから、各宗祖の涅槃会は、みな『お会式』と申すべきですが、例へば『お祖師様』が日蓮大聖人に限りますと同様に、『お会式』(又は「お命講」も)といへば、日蓮宗独占の形となつて了つたのです。論より証拠で、之を各宗祖の涅槃会に徴しますれば、大体
(一)大師講=(天台宗)
(二)御影供=(真言宗)
(三)御忌=(浄土宗)
(四)報恩講=(真宗)
(五)御会式=(日蓮宗)
と称へているので明瞭です。
次に『お会式』は即ち『御命講』ですが、この『お命講』の語は、元来「御影供」に倣つて「御影講」と呼び、更にその「御影」(ミエイ)を呉音でミエウと呼ぶところから「命」の字を当てて『お命講』(オミヤウカウ)としたのです。故に、今より二百数十年前に在つては、
お命講や油のやうな酒五升 芭蕉
御影講の花のあるじや女形 大祇
菊鶏頭伐りつくしけり御影講 芭蕉
上京や月夜しぐるるお妙講 几童
といふやうに「お命講」「御影講」さては「お妙講」などと様々に書いたものです。それが俳句の新しい季題となつては、「日蓮忌」・「会式」の語が生じて
松原にひびく太鼓や日蓮忌 鼓竹
かけて今日をがまんだらや日蓮忌 諌元
昼過ぎや会式の道のこぼれ花 錦江
武蔵野に住みて会式や紙の花 青々
などと詠ぜられています。

さて、今日に於いては、所謂『お会式』は全国的、否、世界的の行事となり、随つて、名物の万灯も到る所で見られますが、しかし、何といつても『お会式』の本場は、聖祖鶴林の霊蹟を有つ花のお江戸であり、関東地方であることに変りはないのです。蜀山人の歌に、
家々に飾る小春の造り花
としやお祖師の御影講中
とあるやうに、江戸市中の家々では、桜の造花を飾り、お木像には赤白三枚重ねの綿帽子を冠せまいらせたことが「近世風俗志」や「江戸歳時記」に予って知られます。今日でも、大東京の初冬を飾るお会式万灯は世界的名物の一であり、お会式の電車が終夜運転などといふ光景も、大晦日以外には容易に見られない図でありませう。
新しい川柳に「本門寺年に一度の手が疲れ」と詠まれている池上本門寺の御会式は、何れの時代から斯くも繁昌を呈したかといふことは判然しない。けれども、寛政三年開版(今から丁度百四十八年前)の慶紀逸の「俳諧武玉川」初編に、
その翌足のたたぬ池上
と見え、お逮夜の雑沓で、御正当の十三日にも尚参詣人の足の踏場がない有様がほぼ窺はれるのです。其頃吟ぜられた俳句にさへ、
お命講や谷も埋まる切草鞋
といふのがある。そればかりでなく、元禄(今より二百三十四年前)時代において、松尾芭蕉に「お命講や油のやうな酒五升」の名句があつたほどですから、名にし負ふ池上の御会式は、既にその時代から相当盛んであつたことが信ぜられます。
次に、御会式を題材とした狂歌も多いが、「古今夷曲集」には、有名な今混馬鹿壽が、
妙法ののりの手際にさくら花
これや小春のよしの紙にて
と詠じて居り、古川柳としては「俳風柳多留」に、
日蓮は柿と葡萄にあきたまひ
お会式の餅を髪から一つ出し
ぽつたりと散るは会式の桜なり
と口吟んでいるのが人口に膾炙しています。又奇抜な観察から成つたものとしては、天明時代の作に、
万灯持おつたてる時すこいそぎ
とある。「すこいそぎ」とは、大万灯が重いので之をたてる時に少し前のめりに急ぐやうになることです。又、
万灯持生れもつかぬ歩きやう
といふ秀句は、宝暦頃の作です。明治時代の句には、
夜を昼に団扇太鼓や法の華
とあつて、皆池上の御会式を主題としたものです。

池上についでは、近郊に聞えた堀の内妙法寺の御会式が盛大であつたことは「江戸名所図会」・「本化道場記」等で知られ、「江都近在所名集」には「堀の内厄除の祖師、近来繁昌」と見えます。十返舎一九の狂歌に
堀の内といへど水きア見えないが
お堂の中はだだぶだぶだぶ(金の草鞋)
と申すのがあり、「俳風柳多留」などには、
鳴子道冬も会式の花見連(文政の句)
馬の耳題目を聞く四谷道(文化の句)
十三日馬糞ふみふみだだぶだぶ(文化の句)
などと見え、明治になつてからも、
通者四五丁知れる御命講
といふのも見出されます。
さうした御会式の華やかな光景を描いた浮世絵師には、広重、北斎、国芳、為斎、豊国、芳虎、英泉、国周、周延、新しい所では芳年、清親、暁斎、其他の名流を挙げられます。『御会式』は錦絵としては好個の材料だつたから、優秀な作品があり、それらの画家は揃ひも揃つて法華信者であつたのも愉快ではありませんか。
斯の如く『法華気質』の江戸ッ児は、所謂『お宗旨』なることを誇とし、それぞれ万灯を振翳して堂々と八百八町を練歩いたので、自然に衝突もおこり、小競合も生じた。で老中水野越前守忠邦の天保十二年に行つた改革には、万灯も纏も差止められましたが、間もなく忠邦が失脚すると共に、旧態に復し、以前よりは却つて華々しく街頭へ押出したことは、いづれも錦絵によつて証拠だてられています。
御会式の万灯は、大万灯、提灯万灯、奉納手拭万灯、仮装万灯、其他で、桜の花傘で飾られますが、昔は旗幟が殊に多かつた。明治十四年の六百遠忌の頃から、ますます盛んとなつて、東京年中行事の一頁を彩るやうになり、満都の各新聞紙もそのニュースの主要部分を「お会式だより」のために提供するのが恒例となつて、いつしか世界的名物の名をほしいままにした次第であります。

日蓮主義 第12巻10号 日蓮宗宗務院 昭和13年発行より

品川四天王講縁起

 長興長榮両山三十三代日謙上人の御世、征夷大将軍十一代徳川家斉公の御世、天明八年四月十三日より六十日間、江戸浅草法養寺に於て、大本山本門寺の祖師旅立日蓮大菩薩の御像の御開帳を執行せり。右終て徳川将軍の御内意に基き、御城中に迎へて御開帳を執行することになれり。

 六月廿九日、御尊像御城へ上るに付き、江戸諸講中の送りは法養寺より見附までにて別れ、其より行列ハ御老中月番板倉左近将監殿、御出役人本多定兵衛殿の案内にて、伴僧二人、侍二人、祖師御長持二人、四天王旗四人、霊寶御長持四人、臺持、挟箱持、合羽籠持、僧俗合計廿八人にて二の丸へ上り、夫より御本丸へ進み、更に二の丸へ移り、七月廿二日まで毎日御開帳を奉行し、其乃翌廿三日閉帳退城に付、城中の行列ハ上りの時と仝人数にて、見附より江戸諸講中御迎へ申し上げ、法養寺に奉安せり。其時城中にて一同に白強飯の供養ありと云ふ。

 右御城中御開帳の送迎に四天王旗を随従せしむるにつき、寺社奉行の御尋ねあり、本門寺役者観理院より池上本門寺の祖師の御像を送迎するに、四天王旗を以て左右を擁護するハ、古例なりと御答へ申せしといふ。依りて江戸諸講中の旗は見附限りにて御別れ申せし独り品川の四天王旗のみハ城中ニ入る事となれりといふ。此の事ありてより、品川の池上取持講は品川四天王講と改称し、尓来池上御祖師江戸にて開帳の節ハ、芝の蓮臺講と共に尊像の四方に随する事となれりといふ。

 前記の由緒に依り、当品川四天王講と本門寺との関係は、一般諸講社と自ら異る事情あるにより、本門寺より特に表門此経難持坂の上に、当講社の休息所を建設することを許されたり。今現に平素一般参拝者の茶呑所とせる建物是れなり。

 右縁起ハ当講社に古記録として存せり、年月の久しき破損或ハ紛失せしに依り、今般改めて本門寺の古記録及当講社員古老の言ひ傳へを総合して是れを記する処なり。

  大正十三年三月            品川四天王講

第七百三十七遠忌御会式(平成30年)

2018年10月12日(金)

溝口宗隆寺溝口結社
池上朗子・ボーイスカウト・池上太鼓
青年僧唱題行脚
山梨妙泉寺・山梨きらく会
千葉ありが鯛万灯講・三崎延寿寺福寿会
日本山妙法寺
中根立源寺同心会
大森善慶寺六士講
衾常圓寺衾結社
茂原妙弘寺
三徳
山梨久城寺
山梨妙昌寺
茅ケ崎信隆寺信和会
愛媛県東予万灯講
柏妙照寺妙珖会
久地浄元寺久地結社
洗足池妙福寺御松庵結社
中目黒正覚寺妙正会
浦安正福寺正榴会
荏原摩耶寺一心講
衣笠妙傳寺愛心会・衣笠大明寺
池上大坊本行寺本睦会
久が原本光寺向親会
上池上林昌寺池上結社
蒲田)蒲若睦
浦守)白蛇睦
腰越)竜口睦
大森仲好会
羽田五番睦
大森善慶寺六士講
羽田)さざ奈美纏連
登戸善立寺登戸結社
立正佼成会大田教会
新井宿睦
片瀬龍口寺片瀬睦
樽町本長寺立正結社
堤方養源寺光遊会
六郷)奉友睦
堤方南睦
武蔵新田)纏舞会
堤方妙雲寺堤方結社
久が原安詳寺久が原結社
糀谷)日宗會
生田安立寺
下丸子若睦
徳持微妙庵池上徳持若睦
醍醐講・籠芽會
菊名本乗寺法悦講
中延法蓮寺中延結社
不入斗講
田園調布南睦
南品川天妙国寺鳳山講
横浜妙音寺啓讃会
森ヶ崎)舞鼓
目白睦・雑司ヶ谷連合
鈴ヶ森大経寺鈴ヶ森若睦
蒲田纏会
纒囃睦
北加瀬了源寺了信会
市野倉長勝寺一心講
堀の内妙法寺睦結社
大井十二日講
雅会
五反田朱鷺
緒華蓮・纏翔会
南品川本光寺橘華連
蒲田鼓会
大泉睦会
品川っ子会
鮫洲祭礼会
神通道場纏講
楽友連
南笛会
鳴鼓会
戸越拾人会
常楽睦
品川睦会龍神連
八睦
江戸川天夢会・紅纏睦・皆心講
に若連
大宮睦会
和平睦

第七百三十四遠忌御会式(平成27年)

2015年10月12日(月・祝)

朗子クラブ 宗隆寺溝口結社
立源寺同心会
常圓寺衾結社
妙音寺啓讃会
名瀬妙法寺
小湊連合(+延寿寺)
山梨久成寺
茂原妙弘寺
浄元寺久地結社
蒲田鼓会
江戸川天夢会
本圓寺龍信会
舞鼓
山梨妙泉寺・きらく会
伊勢崎本妙寺・上州快舞連
蒲若睦・女塚睦
摩耶寺一心講
藤沢妙福寺陽向睦
白蛇睦
沼津蓮窓寺
久が原本光寺向親会
天妙国寺鳳山講
六浦上行寺橘会
大坊本行寺本睦会
練馬同心
品川っ子会
茂原藻原寺
茅ヶ崎信隆寺信和会
南笛会・日龍会
神通道場纏講
沼津昌原寺
不入斗講
伊豆法住寺白龍会
林昌寺池上結社
糀谷日宗会
羽田さゞ奈美纏連
雅会
醍醐講
本乗寺法悦講
伊豆本山連合(本立寺、実成寺)
養源寺光遊会
妙雲寺堤方結社
堤方南睦
正福寺正榴会
目白睦鬼神会(雑司が谷他会含)
立正佼成会大田教会
微妙庵池上徳持若睦
樽町本長寺立正結社
安詳寺久が原結社
下丸子若睦
新井宿睦
紅纏睦
龍口寺片瀬睦
大井十二日講
法蓮寺中延結社
大経寺鈴ヶ森若睦
堀之内妙法寺睦結社
善立寺登戸結社
鮫洲祭禮會
田園調布南睦
纒舞會
大森仲好會
善慶寺六士講
三浦円徳寺矢作青年会
萬屋錦之助一座
五反田朱鷺
蒲田纒会
洗足池妙福寺御松庵結社
南品川本光寺橘華連
六郷奉友睦
雑司が谷連合
品川楽友連
中目黒正覚寺妙正会
妙伝寺愛心会・大明寺
戸越拾人会
生田安立寺
了源寺了信会
纒囃睦
纒翔会
皆心講・常楽睦
長勝寺一心講
緒華蓮
和平睦
品川新地に若連
本遠寺初山結社
大泉睦会
愛媛東予万灯講
品川睦会龍神連
八睦
杉並大宮睦
この数え方で91講中(朗子クラブ含)。唱題行脚系除く。
別の団体として登録して当日連合という形もあるので、届け出数は100を越えてるというのは納得です。

第七百三十五遠忌御会式(平成28年)

2016年10月12日(水)

朗子クラブ
立源寺同心会
常圓寺衾結社
宗隆寺溝口結社
名瀬妙法寺
山梨久成寺
茂原妙弘寺
中目黒正覚寺妙正会
小湊連合(+延寿寺)
浄元寺久地結社
山梨妙泉寺・きらく会
愛媛東予万灯講
茅ヶ崎信隆寺信和会
蒲田纒会
竜口睦会
龍口寺片瀬睦
正福寺正榴会
大坊本行寺本睦会
摩耶寺一心講
妙伝寺愛心会・大明寺
岡山万灯講
久が原本光寺向親会
本遠寺初山結社
洗足池妙福寺御松庵結社
常楽睦
糀谷日宗会
練馬同心
新井宿睦
羽田五番睦
羽田さゞ奈美纏連
田園調布南睦
蒲若睦・女塚睦
生田安立寺
六郷奉友睦
立正佼成会大田教会
法蓮寺中延結社
善立寺登戸結社
樽町本長寺立正結社
白蛇睦
安詳寺久が原結社
養源寺光遊会
堤方南睦
纒舞會
妙雲寺堤方結社
下丸子若睦
不入斗講
微妙庵池上徳持若睦
目白睦鬼神会
雑司が谷連合
大森仲好會
纒翔会
緒華蓮
大経寺鈴ヶ森若睦
了源寺了信会
纒囃睦
林昌寺池上結社
天妙国寺鳳山講
妙音寺啓讃会
善慶寺六士講
本乗寺法悦講
醍醐講
神通道場纏講
舞鼓
大泉睦会
蒲田鼓会
雅会
大井十二日講
堀之内妙法寺睦結社
長勝寺一心講
江戸川天夢会
皆心講
品川っ子会
杉並大宮睦
南品川本光寺橘華連
和平睦
五反田朱鷺
八睦
品川楽友連
鮫洲祭禮會
紅纏睦
南笛会・日龍会
戸越拾人会
品川新地に若連
品川睦会龍神連

この数え方で84講中(朗子クラブ含)。唱題行脚系除く。

第七百遠忌御会式(昭和56年)

9日(金
池上本睦会45
醍醐講135
久地結社・久地遠藤家睦会64
了信会40
御松庵八日講45
衾結社50
登戸結社80
久が原向親会55
堤方結社56
妙正会55
鈴が森若睦40
徳持若睦55
市之倉一心講60

10日(土
池上本睦会45
蒲若睦180
宗隆寺門前万灯講30
宗隆寺十三日講30
宗隆寺第一町会・第二町会万灯講20
宗隆寺溝口結社45
宗隆寺方町十五日講20
宗隆寺四丁目町会万灯講35
鈴が森若睦40
市之倉一心講60
衾結社50
久が原結社50
中延結社30
妙正会55
久が原向親会136
堤方結社65
池上結社40
自緑結社50
雪谷菩提講52
徳持若睦会55

11日(日
池上本睦会45
新井宿睦60
弦巻結社30
双六講55
六士講35
鈴が森若睦40
堤方結社65
久が原向親会90
妙正会55
市之倉一心講60
北糀谷日宗会

12日(月
池上本睦会
大森・新井宿睦
保谷市福泉寺・新田講中・荒屋敷講中
仲池上林昌寺・池上結社
市之倉長勝寺・一心講
品川大崎・居木講
大森・不入斗講
大井十二日講
杉並大宮睦会
蒲若睦
新座市・願満講
品川・橘華連
池袋・錦龍若睦
久が原本光寺・向親会
久地浄元寺・久地結社
横浜・慶斉会
久が原安祥寺・久が原結社
大泉・源太連
大泉・小椋睦
羽田五番組若睦会
大井・鼓友会
羽田・さざ奈美纏連
鮫洲祭礼会
新宿・三徳
品川っ子会
品川睦会
品川仁若連
品川・四天王講
柴又読誦会
中目黒・正覚寺・妙正会
大泉十二日結社
横浜・上行寺万灯講
目黒立源寺・自緑結社
大森大林寺・双六講
豊島・高田若睦
醍醐講
雑司が谷・大門若睦
豊島・千登世若睦
蒲田・鼓会
池上妙雲寺・堤方結社
世田谷常在寺・弦巻結社
品川・天妙国寺
雑司が谷・東部若睦
池袋・燈友会
五反田・朱鷺講
池上微妙庵・徳持若睦会
中山・常師会
雑司が谷・鳴鼓会
大森なかよし会
品川・南笛会
北糀谷・日宗会
練馬同心会・月心会
雪谷・念力大黒天法友会
登戸善立寺・登戸結社
羽田長妙講
杉並・八睦
雑司が谷・波羅門
目黒常円寺・衾結社
六郷・奉友睦会
中延法蓮寺・中延結社
糀谷・法性庵万灯講
堀ノ内睦結社
横浜本長寺・立正結社講
藤枝大慶寺・纏講讃仰会
南大泉題目講
菊名妙蓮寺・日朝講
溝口宗隆寺・溝口結社
溝口宗隆寺・第一・第二町会万灯講
溝口宗隆寺・十三日講
溝口宗隆寺・門前万灯講
溝口宗隆寺・四丁目町会題目講
溝口宗隆寺・片町十五日講
目白鼓会
目白睦
目白台睦会
杉並・野源睦
雪谷円長寺・菩提講
立正佼成会大田教会・品川教会・目黒教会
加瀬了源寺・了信会
竜口睦会
大森善慶寺・六士講

第七百遠忌記念本・法華ひらく より

御会式の沿革と池上本門寺 山上ゝ泉

今年の御会式は恰も日蓮大聖人の御涅槃から六百四十九年に相丁るので、
明年の御遠忌を迎へ奉る御門下の報恩心を一入深めしめる意義の深き歳次である。
且、輓近、日本電報通信社の主催の下に「お国自慢」を募集するに際し、
報知新聞社は先づ東京名物の随一であり、
最く殷賑を呈する東京年中行事の一として十月の「御会式」を推薦して居る程である。
で茲に「夜を昼に団扇太鼓や法の華」の池上を中心として、
文藝や絵画に現れた御会式の沿革に就て少しく紹介しようと思ふ。

「会式」とは汎く一般の法会の儀式をさすのであるが、
さういふ成語を国文学に求めると、恐らく足利時代以前にはなかったらしい。
謡曲「九世戸」に、
「丹後の国九世の戸は……文殊を勧請の地なり
殊に林鐘半ば、彼の会式にて御座候ふ……」
などと見えるのが古い方であらう。
其「会式」は、真言宗の「御影供」、浄土真宗の「報恩講」と同様に、
概ね開祖示寂の忌日に営む大法筵をさすのであるが、
何時しかそれが日蓮宗専用語となったことは、
祖師と申せば日蓮大聖人に限るやうになって了ったのと異ならない。
「御会式」といふ称呼も、最初は「御影供」に倣って「御影講」と称へ、
更に「御命講」と呼ぶやうになったもので、
而も其「命」は「御影」の字音から転化したのだから厳密にいへば「御御影講」の四文字が当てられる。
で、俳句では「御影講」と「御命講」とは、
御命講や油のやうな酒五升 芭蕉
菊鶏頭伐りつくしけり御影講 芭蕉
の如く共通に扱われたが、後には「日蓮忌」「御会式」といふ季題も設けられて、
枯原にひゞく太鼓や日蓮忌 鼓竹
一天四海と響くお会式太鼓哉 白蓉
などと吟するやうになった。何れにせよ、
武蔵野に住みて会式や紙の花 青々
昼過ぎや会式の道のこぼれ花 綿江
とある如く「御会式」の本場は花のお江戸……
大東京の初冬を飾る世界的名物で、「紙価、為に貴し」と称するも溢美でない。

然て、新川柳に「本門寺年に一度の手が疲れ」と詠まれた池上本門寺の御会式は、
何れの時代から繁昌したかといふことは判然と文献に徴し得ない。
が併し寛政三年開板(今を遡ること百八十余年前)の慶記逸の「俳諧武玉川」初編に、
その翌足のたゝぬ池上
と見え、お逮夜の雑踏で御正当の十三日にも尚足のやり場がない光景が略知られる通り、
二百年以前に於いて既に斯くの如き参拝団の群集で大賑を極めていたことは明瞭である。
のみならず、元禄の頃(今より二百数十年以前)でさへ松尾芭蕉に「御命講」の句もある程だったから、
池上の御会式は其時代に可成りの名物だったに違ひない。

御会式を題材とした狂歌は随分多いが、「古今夷曲集」には有名な今混馬鹿壽が、
妙法ののりの手際にさくら花 是れや小春のよしの紙にて
と詠み、古川柳では「誹風柳多留」に
日蓮は柿と葡萄にあきたまひ
お会式の餅を髪から一つ出し
ぽったりと散るは会式の桜なり
と口吟んでいるのなどが人口に膾炙して居る。
さういったやうな花やかな光景を描写した浮世絵師には、
一立斎広重、葛飾北斎、一勇斎国芳、為斎、二代広重、二代豊国、芳虎、
国虎、国周、国輝、英泉、周延、一昇斎、小林清親、猩々暁斎其他の名家を挙げられる。
凡そ宗教的の錦絵は、さすがに江戸絵と呼ばれただけあって、
大聖人の御一代や日蓮宗関係のものが一番多い。
池上、堀之内、雑司ヶ谷、白金、柳島などが殊に夥しい。
就中「御会式」は錦絵として相応しい材料だったから、優秀な作品を算へられる。
そして、夫等の画家が熱烈な法華信者だったのも、洵に不思議ではないか。
それらの錦絵を見れば、文化文政前後の万灯の変遷も一目瞭然である。
二代広重の「身延山開帳朝詣新大橋の図」三枚続の如きは、各講中の目印から服装、
十六本の万灯の意匠までが判然として居る。攷古の好資料である。
さて、謂はゆる法華気質の江戸っ子は、男女の別なく、老若を問はず、
それぞれ万灯を振翳して堂々と街頭へ押出したので、勢ひ衝突もおこり、小競合も生じたであらう。
で、天保十二年に行はれた老中水野忠邦の改革の際、その忌避に触れて万灯を差止められたが、
間もなく忠邦が失脚すると共に、旧態に復したと謂ふよりも、
寧ろヨリ華々しく大江戸の八百八町を練り廻った。

万灯に纏を用いるより以前には旗幟であった。
旗幟の大きさは、幅が約四尺、長さは二丈、若しくは二丈二三尺に及んでいる。
その中央には七字の御題目を図顕し、その両端に昇龍と降龍とを描いて、
それを金糸で縫ひつぶしたもの。
その地は緞子といった類であった。
それを蓮台に仕立て、牛に牽かせ、その前後を経帷子や揃ひの衣裳で団扇太鼓を執った連中が数珠のように繋がり群がって行く。
或は四天王旗などもあり、又は各自講中の紋様目印などを認めた吹流しのもあった。
そして、身延の出開帳の送迎には慣例として神田八講が先頭を承っていたものであるといふ。
さういった幟や吹流しは、おほむね開帳のやうな「お練り」の場合に用いられたのであるが、
御会式に際しては、旗幟もあれば大万灯、小万灯、提灯万灯、奉納手拭万灯、仮装万灯などが、
桜花で美しく飾られて出るやうになった。
それも、明治十四年の六百遠忌の頃ほひから一層盛んになったことは、
有らゆる錦絵が之を証拠立てゝ居る。
斯の如く、幾多の変遷を経て、音に名高き「池上の御会式」が世界的名物ともなり、
東京年中行事の数頁を彩るやうになったのである。
即ち一年の総決算期たる大晦日にも見られぬ省線、市電、京浜線、池上電車、
目蒲線が挙っての終夜運転で参詣の群集を呑吐するといふ豪勢さ。
満都の各新聞紙もそのニュースの主要部分を「御会式だより」の為に提供するのを以て誇りとし恒例とするのも、
痛快な現象をいはねばならぬ。
……大阪の名優中村福助(梅玉)が浅草鳥越の中村座で「日蓮大士真実伝」を上演し初めたのも実に六百遠忌御報恩のためである。
そして純信の彼は、真実の荘厳心から万灯と会式桜とで劇場を光飾した事績も世に名高いのがある。

日蓮主義 第四巻第十号 日蓮宗宗務院 昭和五年十月一日発行 より